限りある時間の使い方(オリバー・バークマン著)

まだまだ先は長いと思いつつも、確実に、そして着実に歳を重ねてきたことで、人生の残りの時間について考えることが増えたように思う。

現状に大きな不満はないけれど、漠然とした疑問は多かれ少なかれあって、脳内における体積割合として少し大きくなった時にこういう本を手にとってしまう。

以下、つらつらと感想や備忘を書き残す。

これはよくある作業効率化によって時間を生み出すような手の本ではなく、むしろそういった類の本へのアンチテーゼと言える。

生産性や効率化といった概念を捨て去るべき、というのが一貫した主張であり、なんでもかんでもやり遂げられるという幻想から目をさまそうと呼びかける。生産性をあげ、効率化しなんとか作り上げた余白には新たなタスクがすぐに幅をきかせるようになる。

長い目で見れば、僕たちはみんな死んでいる(P.1)

 

そして、現代人は余暇にまでコスパを求める。

リラックスできる、コネを作れる、健康になれる、お金を稼げる、成長できる、等々。

それは果たして余暇と呼べるのだろうか。

余暇は何かのための手段ではなく、あらゆることの目的そのものだった。

余暇は、それ自体以外に目的を持たない(P.169)

 

他にも、世界はこの100年間でかつては想像もできない程便利になり、多くの時間を手にしたはずだが、スマートフォンが次の画面をストリーミングしている数秒ほども我慢できなくなってしまった、という記述はまさにその通りだと気付かされる。

最近はショート動画ブームの最盛期を迎えており、若者は1つの映画を通して見ることができない人も多いと聞く。これこそまさに生産性や効率化という概念がもたらした弊害だろう。

しかしながら、「忍耐」や「我慢」が伴わずには味わえない芸術や文化がある。

そして喜びや楽しみはシェアすることによりより豊かになれる。嫌な人と一緒にいる必要はないし、ずっと一緒にいる必要もない。それでも一人でずっといるよりも誰かと分け合える方が幸福度は高まる。

人間関係にまでコスパを求める時代になったが、コスパで考えることが結果として幸福に結びつくかどうかは全くもってあやしそうだ。

 

人の平均寿命は短い。ものすごく、バカみたいに短い。

でもそれは、絶望しつづける理由にはならない。限られた時間を有効に使わなくてはとパニックになる必要もない。

むしろ、安心してほしい。

到達不可能な理想を、ようやく捨てることができるのだから。どこまでも効率的で、万能で傷つくことがなく、完璧に自立した人間になることなど、はじめから無理だったと認めていいのだから。

さあ腕まくりをして、自分にできることに取りかかろう。(P.272)